瞑想

2021年11月23日

瞑想に興味はあるけれど、雑念ばかりで瞑想どころかじっと座っていることができない。私もそうでしたが、そんな方も多いのではないかと思います。瞑想はどのようにしたらよいのでしょうか。私たちはなぜ瞑想するのでしょうか。

本日の先生はヨギのシュリ―・エム先生です。

オン・メディテーションー現代を生きるヨーギーの瞑想問答: Finding Infinite Bliss and Power Within

集中状態を全く気を散らすことなく、長い間保てるようになると、瞑想していることさえ忘れるような意識の状態が経験されます。これが瞑想です。この状態では意識を集中している対象、瞑想している行為者、瞑想の過程がすべて一体となります。この状態を経験すると、瞑想に関する様々な定義は、ただの段階、技術に過ぎないことがわかるようになります。追い求めるものもなく、手に入れるものもありません。ただそこに「ある」という状態になり、すべての動きが止まります。本を読んでいるだけではわかりません。実践の継続が一番大事です。長い間、継続的に修練しなければなりません。瞑想を続けていくと、ある段階において素晴らしい体験が得られます。あふれるような至福が常にあなたの内側に流れるようになるのです。この至福は一度得られれば、常にあなたと共にあり続けます。

つまるところ、なぜ私たちは瞑想をするのでしょう?

全ての存在が神の顕れだという仮定のもと、私たちは瞑想するのです。私たちは仮説から実験へと移り、それから実験の成果を試します。この実験が失敗すれば仮説は間違っていたことになります。瞑想においても、まず大前提として、全ての存在が神の顕れなのだという仮定から、私たちは検証をはじめます。

ですので、瞑想や魂の修養の目的は、この事実を深い内面の体験を通して知り、全てのものにある神聖なる光に触れられるようになることです。

この仮定が正しいとするならば、私たち自身の中に神の顕れを見つけられたとき、それは他の人達の中にも同じように存在していると理解されるようになります。自分と相手の中に同じ本質を発見することで、私たちは自然に慈愛の心をもって互いに接するようになります。誰一人として本質的に違う人はいないのです。外側の違いは確かにありますが、深い内面においては誰もが同じなのです。

瞑想における進歩、つまり、内面の神聖なる光に進むにつれて、すべてが一つであるのだという理解に私たちは至るようになります。この宇宙は一つであって、全ての存在は神の顕れなのだということが、体験を通してわかるようになるのです。瞑想で体験されるのはまさにこういうことです。