死と上手に向き合う方法

私たちが生きているうえでの一番の恐怖や不安は、死ぬことではないでしょうか。ですけど、生まれてきたからには、いつかは必ず死がやってきます。死と上手に向き合うにはどうしたらよいのでしょうか。国際宗教・超心理学会の会長である本山博先生に伺います。

戦後は特に死ぬことはあまり考えないような文化になってしまって、死ぬ人はみな病院に入れてしまって、皆の目にふれないようにするから、日常でも家の中で人が死ぬということはあまり経験しないけれど、死をそういう意味では非常に恐れていると思うのです。死ぬということを、いつの間にか無意識のうちにも見たくないというふうな雰囲気が、今の文化には強いと思うのです。

お釈迦さまが行を始めた原因は、城の外へ出てみて、年寄りがいたり、死にかけた人が路上に横たわっていたり、病気になったり、年をとったり、死んだりするのが非常にショックだったので、行をして、そういうものを超えたいと思ったみたいだけど、今の時代は超えるのではなくて、逃げる方にもっぱら向いているみたいで、やっぱり死ぬことを直視できるような人間にならないと悟れないと思うのです。

すわっている時に、このまま死んでも良いという覚悟ができて、ああ、もうこれで死んでいるんだ、死を超えているんだと思える程にすわらないとね。集中ができたとか、できないとか、神様や霊が見えたとか、そんなのはどうでもいいんですね。

やっぱり人間が生きているということは、人間が死ぬことを含んで生きているわけだから、生きることも死ぬことも同じで、それを超えたときに、本物の悟りが開けるのです。霊の世界は、死んだり生まれたりするカルマの種子を繰り返す世界で、種子を超えた世界ではないからね。種子を超えた世界へ行くためにすわるんだから、死ぬのがこわいようじゃダメなんだな。ま、死ぬのは辛いけど、死を直視できるように。

なんで自分が生きているのかというと、今、生きているということは、生まれかわり死にかわりして、また元の神様のところへ変える過程のひとつの頂点なのだからね。何遍も生まれかわるといって、今生は一度きりなんだから、今を精いっぱい生きて、できる限りいろいろな経験を積むことだね。

霊的成長と悟り―カルマを成就し、解脱にいたる道